来館者の声

「肥後守」いろんな思い出・主張があります。


このページは、ご来館された方からの声・ご意見の交流の場にしようと思っております。紫の字は私のコメントです。


会議室 (註:ニフティサーブのふるさとフォーラム(FZENF)の14番会議室、とのことです) で「肥後守」が話題になったので関心があり、ホームページを拝見しました。すばらしい研究内容に驚き、知識が増えたことに感謝いたします。

尚、これに関連してニフティの中で調べましたところ、FS20 4番会議室 #01194で たんとんさんと言う方が発言されている内容が気になりますので要旨をお知らせいたし、準備中のページの参考になればと思い、お知らせいたします。(下記の内容の真偽を知りたく、また来館したいと思います)
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その発言の要旨は「肥後守」を製造しているのはを岐阜県で、岐阜県以外のメーカーは肥後守の商標を使えないそうです。そのメーカーも3社だけになった。という内容です。
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(98/11/28)

わりと誤解が多いのですが、肥後守の生産地は兵庫県三木市と小野市だけです。
現在は、たしかに3メーカーですが、
ひとつ(小野市)はもうほとんど生産をやめている状態、
ひとつ(小野市)は年間5000丁ほどの生産、
ひとつ(三木市)は年間10万挺ほどの生産量です。
いま、肥後守メーカーと言えば
ほとんど間違いなく三木市の永尾さんのことを指します。結構有名になりましたね。

 私はポスト刃物狩り世代で、肥後の守を初めてみたのは高校1年の夏に友人とその兄貴と3人で北海道に旅行したときで、友人の兄貴が持っていたのでした。

 実家にも肥後の守の1本くらいあったかも知れませんが記憶に残っていません。父が仕事であちこち海外へ出かけるのでドイツやアメリカの刃物が家にごろごろしていたせいでしょう。

 昭和36年か37年に小学校に入りましたが、多分入学と同時に手回しの鉛筆削り器を与えられました。しかしその頃のノートには鉛筆の削りかた(もちろんナイフを使っての)の説明が、良い削りかた悪い削りかたの例の絵入りで必ず印刷されていました。ナイフ狩り以前の遺物なんでしょう。文房具屋で売っているナイフはいわゆるボンナイフでありました。

 友達の兄貴のを見て以来、自分でも数本買って持っていました。

(98/11/14)

この「説明」はなかなか興味深いなあ、と思いたずねてみると、
「いや、芯を長く残して木部を削ったのや芯が短すぎるのや適正な長さに削った例が鉛筆だけ図示してあるだけのものです」とのお答えをいただきました。
でももし実物をお持ちの方がいらっしゃいましたらぜひ拝見させていただきたいものです。

Chateau Micmac の館長・おひねるです。
リンクを張っていただいてありがとうございます。
フランスの「肥後守」というと、やはり齋藤さんのおっしゃるとおり、その形状からしてDoukDoukではないかと思えます。ただし、こちらはオピネルほどにはポピュラーではないですね。富岡八幡の肥後守屋さんのそばにはこれを売っている怪しげなフランス人がおりましたが、やたらと高いので買わずに帰ってきました。

しかし、日本の「オピネル」といえばやはり「肥後守」であります。
(98/11/09)

以前、六本木のロアで大きめのDoukDoukが1万円で売られていました。おなじ人でしょうか?
こんばんわ、大変楽しく拝見させていただきました。
私もナイフが好きで、肥後守ではありませんが、小学校のときから電工ナイフを愛用していました。肥後守も現役が2本木工用に活躍しています。
ナイフの自作が高じて、今はナイフの原点である石器づくりにはまっています。
(98/10/18)

刃物について考えると、人間の道具の原点は何だろう?
人間の原初的な部分に思いを馳せることになります。哲学する道具なんですね。

はじめまして。
ホームページ拝見させていただきました。
肥後守への愛を感じました。
無駄のない形態は何故か最もきれいですね。お魚のかたち、円、葉っぱ、刃物もそう。
楽しく見させていただきました。
(98/09/09)

カスタムナイフの分野では非常に装飾的なものもあって、それはそれで美しいのではありますが、それよりもシンプルで必要最小限の造形にひかれます。
私は大阪市に住んでおり、幸いにもすぐ近くの大和川を越えると刃物の町堺市です 。
堺市の刃物の職人さん達が「屯天漢」というグループ名でいろいろと活動されています。
ホームページを開いておられますのでぜひご覧ください。

屯天漢 http://www.osk.threewebnet.or.jp/~shinkun/

その中の一人、藤井啓市さんの所で私は毎回研ぎの体験をさせていただいています。 まず2階の展示室で自分が作りたい包丁を選びます。 価格はペティナイフ3000円位から材質の良い包丁で5000円から10000円位でしょうか。それらの既に鍛造で焼入れされている素材を受け取ります。そして 1階に降りて、大きな回転水砥石で粗削りを自分で行います。
中研ぎ、仕上げは藤井さんが行ってくれますので、初めての人でも美しい包丁 が出来上がります。私は、包丁だけでなくナイフ造りにも興味がありますので、特別にナイフも作らさせてもらっています。
焼入れに関しては、たまたまタイミングの良いときに行きましたのでお願いして少し包丁を油の中に入れるところを体験させてもらいましたが、2月に一度位なものだと思います。

お問い合わせの、どのようにすればやらせてもらえるかなのですが、藤井さん のところでは、堺の刃物の発展のためにという事で、一般の人の為に研ぎ体験を行っています。 新聞や旅の雑誌、テレビの取材で堀ちえみも来た事が有ります。


他にも、屯天漢の仲間の人で研ぎ体験を受けて下さる方が居られるかと思いますが 、私は何時も藤井さんのところでしたので、よく知らないのです。
(98/06/23)

下のお便りに対し、早くもお返事が。
こんなふうに、刃物を通して人の輪が広がるのは非常にうれしく思います。

つい最近、久しぶりに肥後守を手にいれました。
このページでもよく取り上げられているカネ駒さんのものです。三木市でも、本当の肥後守を作っているのは、1件だけになってしまったと、地元の市役所に勤める友人が言っていました。
ナイフの手作りの件ですが、三木市内にオーダーメイドナイフを作らせてくれるところがあるそうです。ただし、時間が1週間くらいかかり、スタッフの都合で、いつでもいいというわけではないそうです。
なお、カネ駒さんのナイフを手に入れるのには、三木市の商工会に行くのが確実で、一番賢いと前述の友人が言っていました。
(98/06/22)

三木の市役所に知人がいるというのは心強い(?)ですね。私も学生の時に、三木市役所から資料など送っていただいたりしてお世話になりました。
三木市では11月に刃物まつりを開催しています。機会があったら行きたいものです。

私も子どもの頃から、刃物に興味が有り 自己流ですが包丁程度は自分で研いでいます。
子どもの頃、肥後守のような物を持っていた記憶もあります。でもこれを「ひごのかみ」と読むのは最近まで知りませんでした。「肥後守博物館」を拝見後、急に入手したくなり、今度の休日にでも探索してみようと思います。今ナイフブームのようですが、私は高価な物より安価で実用性の有るものが好きです。
「来館者の声」に大阪にお住まいで、堺でナイフを素材から作成、焼き入れ等を体験している方が居られます。
ここで御願いですが、私も同じような体験がしたいと以前から思っていたのですが、どこでどうすれば良いのか分からずにいました。もし御存知でしたら、差し支えのない程度に教えて下さいませんでしょうか?
どうか御願いします。
(98/06/20)

というわけで、こういう件に詳しい方は、この方(油谷さん)に、あるいはこちらまでメールをお願いいたします。
参加したことはまだないのですが、例えば福井のタケフナイフビレッジでナイフづくり講習をやっているようです。
KKワールドフォトプレスのナイフマガジンなどを見てみては?

自宅を整理していたら“商標 備前守宗近”と刻印された肥後の守そっくりのナイフが出てきました。なんだかとってもうれしくなって鉛筆を削るのに使ってます。齋藤さんは備前の守について何か知っていますか?たぶん私が小学生の頃使っていたのだと思います(本人には全く記憶が有りませんが...)
(98/04/17)

「宗近」には、「宗近肥後ナイフ」という名前のものもあり、私の知る限りではこちらの方が多く見られるようです。文房具屋へ行って、もし肥後守が売っていたら、ほとんどは「宗近肥後ナイフ」、あるいは「肥後隆義」でしょう。
刃物屋さんへ行って探した場合、「肥後隆義」か、「肥後守定(かね)駒」ですね。 「宗近」は、どこでつくられているのかはっきりしないのですが、兵庫県小野市とみて間違いないでしょう。
「備前守」のほうは、私のもっているものは鎌、鋸がついています。
いずれにしろ、純粋な肥後守とは(厳密にいえば)ちがいますが、これらも立派な肥後守だといって良いでしょう。

はじめまして。肥後の守の研究、大変興味深く見させていただきました。私も数年前から肥後の守の、銘と言えばおうげさですが、その名前がいろいろ有るのが、面白いと思い集め始めました。最初は街の文房具屋さんで漁っていたのですが、最後は三木市の永尾さんにお願いして数十種、現存するものを分けていただきました。鋼を軟鉄に挟み込むと言う、日本刀に似た作り方が魅力です。
(98/03/23)

「肥後○○」という刻印の種類は、おそらく百をゆうに越えるものです。近いうちに当館でも紹介いたします。お楽しみに。
懐かしい思いで拝見させていたたきました。私がまだ小学生の頃、鋸付の肥後守が欲しくて、こずかいをためてやっと手に入れた憶えがあります。新聞の記事(註:朝日新聞日曜版、とんちんかん道具館)によれば、1軒だけで細々という状態だそうで、失われる職人業というべきなのか、さびしいものがありますね。残してほしい文化のひとつですね。以前、法隆寺の大修理を指揮した宮大工の話を読みましたが、あんなふうに残され、また伝承されるといいですね。
頑張って下さい。
(98/03/10)

肥後守には、本当にさまざまな人の思い出がつまっているようです。
肥後守の文化、肥後守の存在できる社会、そういったものがこれからの(大きくいえば日本社会の)テーマのように思われます。

私は、大阪に住んでおりますが、大和川を超えるとすぐに刃物の町、堺市があります。
昨年末より、包丁の研ぎ体験をさせてもらったことにより、刃物に大変興味を持つようになりました。
今年は、素材からナイフを作り出してゆく体験をさせてもらっています。
今度の土曜日にもナイフの最終研ぎに入る予定です。

ふとしたことからナイフに興味を持ち、鉄、鋼、焼入れ、焼き戻し、鋼の種類その他いろいろと調べるにいたっています。
ある時、知り合いから肥後守のことを耳にし、いろいろと捜し当てた結果見つけ、大、中と青紙割込みのものを買い求めました。 「カネコマ」さんのものです。
その店では2800、2000円の値段が付いていました。
ちょっと高いと思うのだけれど、所場代がかなり含まれているものと思います。
これが何と良く切れる、一遍で好きになりました。
最近、ずっと肥後守を使っています。

とりあえずの使い道は、木の皮を剥ぐのに使っています。皮を剥いだ木の幹を利用してとりあえず、何か細工ものでも作ってみようかと考えています。

また、肥後守自体、仕上がりは乱雑になっているので、自分でカドを落としたり、しのぎの部分を紙やすりで磨いて鏡面に仕上げたりして、自分なりに気に入った形に仕上げています。愛着がどんどん湧いてゆくんですよね。
(98/03/09)

そうですね。こういうカスタマイズ性というのも肥後守の魅力だと思います。
肥後守そのものが完成品ではなくあくまでも素材である、と。
元は同じものでも使い手によってそれぞれ違う刃物に成長していく・・・
これもまた道具の本質ではないでしょうか。

私は現在30才ですが、子どもの頃に「肥後ナイフ」といって肥後守を持ち歩いていました。
小学校入学の際に母から渡されたもので、当時教室には鉛筆削りがあり、又鉛筆削りが付いた筆箱が流行っていた頃でもありましたが、「鉛筆はナイフで削りなさい」と、削り方の指導付きで渡されたものでした。

確かに、その頃周囲にナイフで鉛筆を削る子などいなくて、肥後守が古風なデザインだったこともあり、ちょっと気恥ずかしい思いをしたように記憶しています。

それでも、当時、兵庫県の山の近くの自然に恵まれた所に住んでいたこともあって、鉛筆を削る以外にも、木の枝の皮を削って「ぱちんこ」を作ったり、竹とんぼを作って遊んだことを覚えています。

記事(註:朝日新聞日曜版、とんちんかん道具館)に、少年時代の肥後守の思い出を懐かしそうに語る初老の紳士の談がありましたが、年代も違い、私は女の子でしたが、やってたことは同じ様なことでした。
(中略)
今、刃物は昨今の事件などもあり、とても危険視されていますが、私自身、子供の頃を思い返してみると、肥後守だけでなく、小学校低学年の時から家で包丁を持たせてもらっていました。

また、小学校高学年になると、掃除の時間に校庭の当番は鎌を持たされ草刈りをさせられました。
もちろん不注意から手を切ったりということも少なくはありませんでした。今の学校教育では、おおよそ考えられないことのように思えます。(実際のところは知りませんが...)

今回のこの記事を拝見するまで、肥後守という名前も、このような歴史があることも全然知りませんでした。同じ世代の友人に話しても皆知らないようです。しかしながら私にとっては、楽しかった子供の頃の思い出につながる懐かしいモノです。
また、肥後守を手に入れてみたいと思っています。
(98/03/09)

非常によい子供時代を過ごされたようですね。:-)
肥後守と再会したら、ぜひその感想をお聞きしたいものです。

 私にとっての肥後守は、もちろん少年時代の必需品でしたが、その他に、「ばかさ加減を象徴するできごととしての刃物追放運動のシンボル」として、私の脳裏に焼き付いております。そのために、「肥後守」に非常に敏感になっており、このようなMAILをお寄せするのですが、その無礼をお許し下さい。

 昭和35年当時、父の経営する刃物工場は鉋の製造を主としており(現在も兄が三木で父の後を継いでおります)、肥後守を作ってはいませんでしたが、刃物追放運動に対する父の怒りはそれは大変なものでした。そして、少年だった私自身の人格形成にも大きな影響を与えたました。

 私は中学3年から高校生のころでしたが、三木線(三木ー厄神=加古川線の支線)で通学していました。その車中で、多くの若くない肥後守の鍛冶職人が仕事をつぶされ、播磨工業地帯の大工場に働きに出る姿を見ました。彼らのなんともいえない情けなそうな(自分に非があるわけでもなく、誰に文句を言えるわけでもない)、車窓を見るうつろな姿を、私はいまだにはっきりと思い出します。

 斉藤さんは、道具としての肥後守を研究対象に選ばれたようですから、刃物追放運動はサイドワークになるのでしょうが、ぜひ、(肥後守を中心の)刃物追放運動を研究対象とした運動史を取り上げていただきたいのです。切り口はいっぱいあると思います。
 私も今の仕事が一段落したら肥後守をなんとかしたいと思っていたのですが、斉藤さんのような若い方に研究してもらえるのなら、応援団に回ります。ぜひ、お願いします。
(98/03/09)

このような、三木の方からメールを頂戴できるとは非常にびっくりです。
もちろん、「もの」に目をむけつつその背景、社会、人間を探るのが道具学。
やることはたくさんありそうです。

刃物を追放すれば犯罪が減るという安易な考えが蔓延しているようで、私も残念に思います。
家にある包丁だって、見方によれば危険なものなのに...ナイフばかり..残念です。
道具のメリット・デメリットをよく見極めて、心正しく使うように教育するのが大切なのに、そこを省略して刃物排除に向かうのは正しい方向ではないと思います。
(98/03/09)

ほんとに、「どうしてナイフばっかり悪者になるの?」というかんじです。
朝日新聞日曜版で知りました。こういうホームページがあるとは思いませんで、また大変興味深く読ませていただきました。産地もてっきり熊本あたりだろうと思っていました。小学生の頃、近所の炭坑の売店でよく買っていました。さびたりですぐに切れなくなっていましたが砥石で見よう見まねで研いでいたけどあまり研げていませんでした。遊ぶときはよく持っていっていました。とても懐かしく思いました。ありがとうございます。
(98/03/09)

子どもの頃の思い出はいっぱい。でも肥後守自体はどこかへ行ってしまったり、またその素性も明らかでない・・・
これは肥後守の大きな性質なのですね。

昔から、刃物に興味があり、最近の刃物排除の風潮を悲しく感じていましたところに、朝日新聞でこのHPを知りました。肥後の守には昔から興味を持っていたので、大変興味深く拝見させていただきました。

刃物の事件が絶えない昨今ですが、職人さんが真剣に作った刃物は心がこもっておりますので、悲しい事件を引き起こすことは滅多にないと信じています。その点でも、肥後の守は今の日本には貴重な存在だと思います。 道具はあくまでも道具で、悪いように活用するのも、生活を豊かにするために活用するのも、人間だと思います。
(98/03/09)

本当に、最近の状態は数十年も前の刃物追放運動の繰り返しのようです。何とも情けなくなってしまいます。
ほんとうにこのごろナイフの周辺が騒がしくて困ったものです。
ナイフというものが日常生活からどんどん遠ざかって行くのがとてもさびしいように思います。
ナイフを持ち歩くのを禁止するよりはむしろ積極的に持ち歩かせてどんどん使わせるほうが人をさしたりすることはなくなるとおもうのですがねえ。
さらに理想を言うと、ナイフ作りの体験授業をやるとか・・・。
 まず川に行って砂鉄を集め、たたらで鉄を作る。
それを鞴で熱して鍛えながらナイフの形にしていく。
最後に削って研いでよく切れるほんものの刃物に仕上げていく・・・。
まあそこまでやらなくても要は刃物という道具に愛情を感じるくらい刃物のことをちゃんと教えてあげればいいと思うのですが、しかし今は大人も刃物が使えない時代だから難しいかも・・・。
ちなみにぼくは中学生のころにある事件がきっかけでナイフにめざめてそれから今にいたるまでたいていいつも持ち歩いています。
やはり一番使いやすいのはカッターナイフですね。
余談ですが、うちの死んだじいさんはカッターの刃を折らずに研いで使っていたなあ。
それがまたよく切れること・・・。
(98/03/09)

まったくそのとおりです。ナイフを遠ざけてしまったら人間の「手」はどうなっちゃうんでしょうか。
ナイフ排斥派の教育者たちはその辺のこと、どう思ってるんでしょうかねえ。

肥後守を買いました。先日ですが鹿児島県のほぼ中央の国分市の近くで加治木町の初市がありました。
探していた肥後守に出会いました。商標登録は、肥後守定駒壱号と紙ケースにありました。
昭和25年生まれです。鳥のワナをしかけたり。竹トンボを作る時は鋸付きは買えなくてうらやましいものでした。
1000円で買いました。制作されている風景など写真が見たくなりました。
(98/03/08)

それは、兵庫県三木市の永尾元佑さんのところでつくられたものですね。
ほんとに小さな工場(というか作業場)でつくられています。
家内生産の典型です。でも、永尾さんは非常に誇りをもって製造にあたっていました。

肥後守の話...小学生の頃、肥後守は今考えるとニセモノかもしれないが文具屋で10円だった。まわりの子供は殆んどが持っていたよ、ケンカをするために持ってたヤツなんか一人もいなかった、ポケットに入れて学校にも堂々と持っていけた、エンピツを削るため、(エンピツ削り器なんてシャレタものなどどこにもなかったよ)家に帰ればそれで小竹を割り、木を削り諸々の遊び道具を作ったものだ。刃が切れなくなると大人の真似をして砥石まで持ち出して研いだものだ。折れたり無くしたりするとすぐ新品を買う、あのキラキラしたメッキの鞘が目に浮かぶ、いとおしい宝物だった。ときには手がすべって指など切ったこともあるけど大人は何も言わず、自分で赤チンを塗っておしまいだった。そうして刃物の素晴らしさや怖さを覚えたんだ。子供はクラフトマンなんだ。今でもきっとそうなんだ。

なぜ肥後守を大人は子供に与えないんだろう。ファミコンをはじめ買えるオモチャはたくさんあるが、チャチな物でも素材から自分で削り出した物の喜びやアジ。
子供に肥後守を与えられない大人はあまりにもいそがしくて流されて自信を失っているのかな。
(98/03/08)

最近、本当にナイフが悪者扱いされています。悪いのはナイフではなく、ナイフを与えずに教育してきた大人なのではないかとさえ思ってしまいます。
刃物を使う楽しさ、こわさ、これは人間にとって大切なことだと思います。


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